2012年05月20日

thank god it's Friday-Nyte-DeeeJay



今週金曜/25日 自由が丘バードソングカフェにてDJやります
http://birdsongcafe.sunnyday.jp/

亜米利加南部音楽特集 " Southern Tracks"
6:30 open 7:00 start
荘治虫/奥山和典/小尾隆

マッスル録音のポール デイヴィス盤に "Southern tracks & Fantasies" と題された盤があったことを思い出して…


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昨夜は青山の店で行われた兄キバンド/オーケーズのライヴへ
なかで「PYG/花・太陽・雨」をカバー




これが あらためてイイ曲と感じた 井上尭之の曲…独特の哀愁はやはり井上曲「ひとり/ I stand alone」と近い wet な引きずり♀エ覚みたいなもの
「ひとり」を歌ったのはデイヴ平尾だが そのデイヴにも そして柳ジョージかな
港町横浜ロック勢は 他のどの地よりも欧米ロックに近かった60年代なにの
やっぱり日本人… そんな wet 感を漂わせる存在だった

posted by Denny_O at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月18日

ティンパンアレイ末期


最近のUT メッチャクチャ腹立ちませんか!? 牛丼やら保険やらのCM 
いちいち skip 押すのも煩わし といって30秒も…
最初からCMが入るモノであったならそう腹もたたないが
(ぜったいにすぐなくなると思っていたUT…)立ち位置が強固となった今になって こうして広告収入というやり方はあざといなあ

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こうしてTVコミック映像でこの曲を見る≠フは初めてなんだ
日本で放映されなかったから当然か

曲は…まあほぼリアルタイム だが ティンパンアレイうんぬんはもちろん知らなかったこと ドン カーシュナーの名前も

たしか70年 日本でビクターが アメリカの MCA と契約してリリースを始めたんだな そこでMCA系列 uni のシングルが配布開始されたと記憶
ニール ダイアモンド リン アンダースン カフリンクスあたりじゃなかっただろうか
うち カフリンクス【トレイシー】を買ったヨ パーパーパパパパー
全米トップ10ヒット そのヴォーカルが【sugar sugar】と同一人物とは 後々知ること それはロン ダンテ

アーチーズ盤のオリジナルは やっぱり Kirshner Records なんだろう
このティンパンセッションはロスではなくNY
ベースはチャック レイニー ギターがヒュー マクラッケン/デイヴ エイペル ドラムがゲイリー チェスター
後半に入る女声はトニー ワイン

ワインは "groovy kind of love" "candida" 等のライターという才女
前者は英国マインドベンダーズ(10CC エリック スチュワート在籍)のヒットだが もともとNYティンパン楽曲でワイン=キャロル ベイヤー セイガー共作
後者はヒットを連発したドーン トニー オーランドのドーンのファーストヒット「恋するキャンディダ」

ここら辺 ティンパンアレイの最後期はほとんど無視されていないか
69〜71年ごろのこと〜ティンパンの終焉 誰か詳細に語ってはくれないだろうか
ワタシのヒイキのウェス ファレルとか
パートリッジファミリー ルーパート ホームズ アーチーズ
キャロル ベイヤーあたりのことを…


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産業ロックとはかたづけられないカッコよさ
これを生で観られたらかなりイイ気分になれただろうな
ハードでポップでメロディアスだ

それにしてもトーキングモジュレータ まだ誰か使ってる?
やり過ぎると頭に「来る」とかいわれていたけど…
こういう時代のあだ花的楽器は おもろうてやがて悲しき…
シンドラ/リンドラ いったいどこへしまい込まれているのだろう


posted by Denny_O at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

ベースについて思う事


著名ベーシストの逝去が伝えられるなかでふと思う
ワタシにとっての#1ベーシストは誰だろうかと
これがあまり浮かばないのだなあ
たとえば david hood  ワタシはかなり…人より多くフッドのプレイを聴いている口だと思うのだが それでも hood のプレイといえばこれでしょ=cとは言えなかったり 
ドラマー hawkins ならば この曲でのホーキンスはイイ! とか 聞き耳立ててそのプレイに注意を払ったりしたこと多し

名ベーシスト/上手いプレイヤーと言われる名前に弱冠違和感があるのも事実
しかしシンコペ利かせたチャック レイニーとか ジェイマースンとか 好きですがね
それでも違和感 なぜならベースは「ギター」と思っているから

ベースとは 本来コントラバス=アップライトベースのことでしょう
それをエレキ化したのは… レオ フェンダーでいいのかな?
まあレオとして
レオの意図 ギターがエレキ化されて音量増幅 それに対してコントラバスではさすがに対応しかねる だいたいが大きすぎて移動が大変
ならばエレキ化&ダウンサイジング
そこでしたことは ホローボディを改めてソリッドボディに
そこまでは納得 しかし次の一手は意外だ 「フレットを付けた」
なぜベースにフレット? 
レオとしては「これでギタリストでも弾けるでしょ…」「こうすれば選任ベーシストがいなくともギタリストがベースパート≠弾けるじゃん=移動も楽になるしコンボを組んでどこでも演奏可能になるがや」 これが意図だったんじゃないか

正式名称は Fender electric bass guitar  なんじゃないかな と
だから本来はベースのように低音が出るギター≠ニ思うんだがねェ
そこで ワタシの違和感は
「指弾き」が本格的=ベースの本道 のように取られるパブリックイメージにある
それってワタシからみると邪道 それは「コントラバス奏法」なのだから
ピックで弾くこと=ギターとして弾くことが正道と 個人的ですがね 思っとる次第デスワ
ところが世間ではピックで弾くなどヤボの骨頂 下手くそベースと取られてませんか
いかんいかん いかんなあ ちゃいますヨ こっちが本道だっちゅうの
指で弾くならフレットレスにしやがれって

ワタシは ベースでもピックの当たる音 金属弦とピックのアタック音が大好き
これこそレオが求めていた「新しい楽器=低音ギター」じゃなかろうか

そんなプレイヤーを挙げるなら
キャロル時代のエーチャンね いやマジにエーちゃんベースは大好きでしたヨ
ジミ変つきのノエル レディング
ドゥービー兄弟のタイラン ポーターもいいねえ 疾走感溢れるナンバーでのピック弾きは最高だ 
忘れちゃいけない ハルヲフォンのタマちゃん
http://youtu.be/kNTk9DKgnbk

レオに近いところにいたかもしれない キャロル ケイのピック弾きもいい

しかしイの一番はやっぱりこの人 ジョー オズボーン
これなどたまらない Windy
http://youtu.be/QiQgDzeJV2s
これもジョーじゃないだろうか Wichta Lineman 
とおもったら http://www.ricksuchow.com/press-group-241.html
これはキャロル ケイでした…
http://youtu.be/QTfwcLdP5Xk



posted by Denny_O at 10:09| Comment(2) | TrackBack(0) | Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

Come on let's go


フェイスで マッコイズ音源に関して 元ハルヲフォン ドラマー 恒田さんへ問うてみたら返答してくれた

それはファーストLPのこと
そのタイトルは【カモン レッツ ゴー
リッチー ヴァレンスのヒットは 彼自身によるオリジナル曲
しかしハルヲフォンによるカバーテイクはリッチーではなくマッコイズによるカヴァーが下敷きになっているという話
恒田さんによれば
アルバム録音の終盤にきて近田春夫が『なにかタイトルになるような変拍子のR&R!』と言ったので 恒田さんがもとより好きだったマッコイズ カバーのこれを推したとのこと
ただの『R&R』ではなく「変拍子の…」というところが実にハルヲフォンらしい

ワタシは返答がてら「ハルヲフォンにはマッコイズ/イクォールズ、そしてスレイドを感じます」とした

するとそのまた答えで『クールスがカバーした“シンデレラ” 最初のアレンジはスレイドの "goodbye to jane" でした』と恒田さんは返してくれた


「シンデレラ」はカバーというより近田がクールスに書き下ろした曲だろう で ハルヲフォンのファーストにも収録している

「最初のアレンジ…」とは何かな このアレンジとは違っていたということだろうか これでも少しだけグッバイジェーンのニュアンスをくみ取れるが…

クールス / シンデレラ
http://youtu.be/f2h-_4LmPCU


それにしてもショボい 70年代東京ロックのお皿の音はやっぱりショボいのだ
どうしてこういう無味乾燥な サランラップで包んだような音にしてしまったか
歌謡曲のエンジニアがそのままやっているんだろうなあ…
ロケンローだよ もっとダイナミズム溢れる…多少のノイズもOKなはず ローファイで音圧高くお皿に刻まねば意味ないでしょ
ライヴの「圧」がまったく刻まれていないことにがっかりする(といってもクールスの生は『ぎんざNOW』以外で見たことがないが)

キャロルもまったくこれと一緒
こちらはプロデュースがミッキー カーチスでしょ ちゃんとミックスダウン後に音を聴いていたのかと思うようなショボさ だからワタシはミッキープロデュース物を信用してませんねん

ハルヲフォンは70年代といえどもそんなことはない ワタシは all-time 25 に三枚(バンドと近田ソロ)も挙げているのです


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70年代末か80年代か 英米で "electric avenue" の大ヒットを放ったのは レゲエシンガーという立ち位置だったのかな エディ グラント
そのグラントが60年代に活動していたのが The Equals 
白黒混合 黒人のほうが多かったか 英国らしい構成はカリブ系移民の血なのだろう スカ/ブルービートっぽい縦ノリのポップビートバンド
ある意味金太郎飴ではあったけれど ワタシは断然支持です カッコイイ
唯一知られるのはこれ Baby Come Back  (プレイヤーじゃないヨ)





正しくはGudbuy T'Jane 
ほかにも Coz I luv you とか…スペル替えばかりしていたスレイド



posted by Denny_O at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

hang on sloopy


おかしいゾ もっともアクセスされてるこのテイク マッコイズじゃない!!
リレコだろうか? いや 声がリックじゃない…
http://youtu.be/GG2qVcff04g


こちらこそリレコだろうが それにしても不思議なテイクだ
まず歌っているのはリック デリンジャーで間違いないだろう 背の低さや髪型からしても
だがこのアレンジの妙 レゲエっぽくもスカっぽくも…ブルービート風味
ビブラフォンにスチールドラム!
どう聴いてもUKビートポップ それもかなり60年代
USバンドのマッコイズがUK仕様でリレコしたのだろうか
それにしては リックの顔や演奏の雰囲気は(おねえちゃんのダンスも…)70年代
70年代のリックは早々にウィンター兄弟と活動を始めていたのでは?
そのほんの一時 ちょいと前に最後のマッコイズでやったのがこれ??
http://youtu.be/zoZ5JL3gmHo


この4分テイクがオリジナルのようだが それも違う
65年に全米1位になったシングル(アルバムからのカット)テイクはここから edit した3分テイクとのこと(それに Mono only だったんじゃないかな) このオリジナル ロング/ステレオテイクはそれから5年後に初出
http://youtu.be/OvJ4FhjgTl4


これがオリジナルシングル
http://youtu.be/JHp9qN1Hs68

この曲のハルヲフォンによるテイクは 次回 Tokyo 70s Rock にてお聴かせしますので乞うご期待

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ウィキには この曲は Strangeloves 三人組が デイヴクラークファイヴに取られそうになって焦ってインディアナのローカルバンドをリクルートして演らせたとある
が ワタシが聞いたのは違うゾ
http://whink.seesaa.net/article/253789258.html

ここに書いたほうが正解と思う
ポップスの世界には「黄金の耳を持つ男」がたびたび登場するがバート ラッセルも間違いなくそのひとり 
自作 "my girl sloopy" はやりようによってはヴァイブレイションズ以上のヒットにできる自信があったはず そこで目論んだストレンジラヴズだったが蹴られた
しかし結果のマッコイズはより適役だったと思う だからこそ全米1位へ
だいたい弱冠17歳のリックを…本名 Rick Zehringer から Derringer などと変えさせたのは 自身で興したレーベル "BANG!" にひっかけて拳銃を持ってきた…ラッセル本人だったと思える
「こいつらは金になるゼ」と踏んだということでは

そのマッコイズのテイクだが バックトラックはすでにストレンジラヴズが作っておいた完パケのオケ そこにヴォーカルとリードギターのみをダビング
そう聞いてよく聴けば たしかに
タムを利かしたズンドコなバックは 怪しいジャングルビートで売った(オーストラリアからやって来たストレンジ三兄弟などとうそっぱちでデビュー)Feldman / Goldstein / Gottehrer のトリオらしいオケになっている

絶対に耳に残る明快なリフ これぞヒットポップスの黄金律
流行らなけりゃウソでしょ というくらいの名曲だなあ
posted by Denny_O at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月03日

Muscle Sound


マッスルに関しての書き込み 読んでいて「?」となることが多々ありましょう
「マッスル録音」とした時のマッスルとは何を指すかということ
場所なのかスタジオなのか…
マッスルスタジオフェイムがごちゃごちゃするはず

いけないのは 四人衆が(もしかしたらウェクスラーが)スタジオ名を
Muscle Shoals Sound Studios としたことだ
これを North Jackson Studio とでも命名していたら…わかりやすかったのに

マッスルショールズは地名 ただ住所表記ではアラバマ州コルバート郡であるらしい マッスルは街の俗称のみ? この界隈の地名はほぼシェフィールドということになる…のか? よくは分からないのだが

前にも記したがこの界隈には マッスルスタジオ/フェイムスタジオ/ウィジェット等々六つ七つのスタジオがあるようだ

「マッスルサウンド」が人によってかなりとらえ方が異なる はず
60年代好きならば ウィルソン ピケット/アリサなど… Atlantic 盤を中心とした FAME studio 録音となるだろう デュアン オールマンの活躍もこっち スタジオのオーナーがリック ホール
ただし「60年代マッスル録音」の白眉を『男が女を愛する時』とする者も少なくないはず このパーシー スレッジの録音はフェイムじゃなくてクインヴィースタジオ(現ブロードウェイ) オーナーはクィン アイヴィー

ワタシのようなロック世代にはマッスルショールズサウンドスタジオでの録音こそが「マッスル」となるわけで フェイムギャングから独立した四人衆がオーナーのスタジオ

下のストーンズ話じゃないが
70年代に入ると俄然マッスルサウンドスタジオが注目され フェイムは落ち目
いやリックホールとしてはもくろみ通りだったかもしれない 
白人で ナッシュヴィルで音楽活動していたというホールにとっては
「南部」や「スワンプ」などはありがた迷惑 とりあえずウェクスラーに好きにやらせていたら人気が出たからヨシとしていたように思える
ガタガタうるさい四人衆ともどもウェクスも出て行った(新スタジオを作った)から ある意味せいせいしていたのかも…
時間も関係なく騒ぐ/スタジオを汚す…そんな「ロック勢」はこっちから願い下げとか それは新スタジオで一手に引き受けてくれという気分ではなかったか

フェイムはその後も地道に続けていたわけだし
オズモンズの "one bad apple" "Yo-yo" などヒットもあった あのカルピス坊やのオズモンド兄弟/モルモン教徒らしい清廉潔白さは 実にホールの好みなんじゃないのか
ポール アンカの録音もフェイムであった と書けばリック ホールの立ち位置は見えてこようというもの


posted by Denny_O at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月02日

Sigma sound / Muscle Shoals sound


フィリーソウルの時代とはいつだったか 自分のなかではまさにリアルタイムだった物と感じているし 好きだったネェ
73〜78年ぐらいが全盛であったか
大義ならば60年代の『ツイスト』から… dance craze なカメオ/パークウェイのフィリーからも含めてだろうが やはりフィリーソウルといえばギャンブル/ハフ組とトム ベル そしてシグマ録音 と
60年代フィリーも遡って DDシャープ/オーロンズ/タイムズ/ドヴェルズ/レン ベリー…好きなアーティストは数多い ギャンブルとハフとベルにとっては修業時代か 
とりわけ好きなのは ジェリー ロスとケニー ギャンブルの共作 "The 81" 
キャンディ&キッシーズ この一発ヒットのみが惜しいガールグループ

フィリーはいまでも不思議な思いがある
シグマのバックメンツMFSBを始めとして スタッフからパフォーマまでほぼオールブラックだったのに ワタシの苦手の sweatyなブラックネスが皆無 非常にソフィスティケイトされたサウンドであったこと
(それゆえに世界規模で成功したとも言えるか モータウン同様の「白人マーケット」への意識…とも思えないが)
MFSBによる "TSOP" /the sound of philadelphia が『ソウルトレイン』のテーマになったのも あの sweat black の総本山のような番組とどこかそぐわなく思ったモンだったが…


とにかくフィリーといえば『弦』でしょ 流麗なストリングズなくしてフィリー語れず 弦好きのワタシにはたまらんかったワ
バリー ホワイト好きもこれかな gene page のストリングズ 弦が書けるというクラシックの素養がまずソフィスティケイトの第一歩かも)

ギャンブル/ハフも良かったがワタシはどちらかといえばトム ベル派 なかでもスピナーズが一番



Drells_3rd.jpg

この盤 ドレルズ3枚目だが オリジナルの12曲は
ギャンブル/ハフ プロデュースのシグマ録音10曲+地元ヒューストン録音2曲の構成であった
そこへ UK Rhino は15曲を… 
まずシングルオンリーだった11曲(4曲シグマ/7曲マッスル)
それと未発表4曲(シグマ3/マッスル1)をボートラ追加
アナログならば二枚組のボリューム 「てんこ盛り」の大盤振る舞いはUKソウルフリークの矜持なのか

「マッスル」8曲は FAME studio ではなく Muscle Shoals Sound Studios 録り

シグマ録りは68年末から翌年末までの一年間
ギャンブル/ハフは PIR (philladelphia international records) を興す前の まだまだ請負仕事をしていた頃というのに やっぱり「弦」は…

マッスルでの弦といえば マッスルスタジオは弦録りができる広さがないこともあったろう ほとんどがマイアミのクライテリア録りだった そのアレンジは Mike Lewis が一手に請け負っていた
ルイスもいいアレンジャーだが まずマッスルで完パケ録音を済ませた上での「外注」先 “これに弦を乗せておいてヨ”という流れで仕事を受けていたルイスという感じがする

この マッスルとシグマが混在した盤を聴いてみて特に感じたが
シグマとは フィリーサウンドとは 制作の途中…もっといえばハナから
「弦をどう鳴らすか」ということを考えていたのでは
弦の重要度が違うんだな 他の録音とは

とはいえ マッスルがダメなのかといえばそんなことはなく
朴訥な南部風味が魅力

それにしても 黒人中心のフィリーよりも白人ばかりのマッスルのほうが
ソフィスティケイトから遠い音というのも意外な事実
(たんに 都会とド田舎の違い?)
ライナーによれば アーチー ベルはマッスルのスタジオへ入るなり
「ここは俺の来るべき場所じゃないぜ〜」と 白い顔ばかりに唖然としたとか

そんなマッスルでの録音にいたる経緯というのは…
黒人SSW (Prince) Phillip Mitchell はこの頃マッスルをベースに活動
特にソングライターとしてマッスル「座付き」となっていた
なかでメル&ティム "starting all over again" は大ヒット
そのミッチェルとアーチー ベルが実は旧知の仲 それが理由らしい

アトランティックから3枚目を出した後
シグマから離れてマッスル録音の4枚目を考えて事は進んでいたようにみえる
ここに収録のLP3枚目後のシングルが ほぼマッスルでのテイクだったことを考えると アルバム録音は終わっていたのだろう が その発売は拒否された…仕方なくシングルで「ばら売り」になってしまったという背景なんじゃなかろうか
都合8曲ものマッスルレコーディングがここに収録されているのだから

ミッチェルの書いたナンバーは3曲 ミッチェル同様にマッスル座付きだった George Soule (& Terry Woodford) の曲もあり
プロデュースは Brad Shapiro & Dave Crawford 
シャピロは マッスルカーカイヴで何度も書いているが プロデューサーとしてはウェクスラーに次いでマッスルをヒイキにした人物 
最も知られるのはミリー ジャクソン盤だが それ以外でもウィルソン ピケットはじめ ベッキー ホッブズ/アンディ フレイザー(元 Free!)など白人のマッスル録音も手がけている


マッスル録音のなかでイチ押しは未発表の中の1曲 "Paches"
この名曲 黒人音楽ファンのみならずチャートフリークも覚えているかも
アラバマの かなりディープなサザンシンガー クラレンス カーターの大ヒットだった 70年にブラックのみならずポップチャートでも4位まで上がったミリオンシングル
ちょうど個人的にはチャート入れ込みが始まった頃ゆえ 最初に好きになった黒人ヒットのひとつがこれだった
なんとも滋味溢れるミディアムで ある意味最初にふれたマッスル録音だったかもしれない(いやオズモンズ "one bad apple" が先か?)

後に調べると この曲は作が これまたワタシの大好きな chairmen of the board のジェネラル ジョンソンだった
同70年のチェアメン シングル "everything's Tuesday" のB面が初出
そしてそれをすぐさまカバーしたのが実はドレルズであったとライナーにはある
しかしそのテイクはお蔵入り
その録音の直後にマッスルで録音(FAME work) していたカーターも採り上げたということで カーターにとってメモラブルなミリオンヒットは ドレルズあってこそだったという次第

で そのテイクは… チェアメンのオリジナルはもちろん良し 盲目カーターも素晴らしい 
が ドレルズも負けていない マッスル四人衆が最高のバッキングで盛り上げている

ドレルズのマッスルセッションは70年6月とある
ということは Muscle Shoals Sound Studios にとってこれも初期録音の部類
シャピロのマッスル録音がかなり早い時期からだったのも意外であった


http://youtu.be/IvfsfS6NVUc clarence carter
 
http://youtu.be/QPy2YGm0mQ8 chairmen of the board


posted by Denny_O at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする