「肝」の(1)がぴたりとハマるコッシュ仕事。タイトルもずばり。 クレジットによればこのジャケ写は1919年の Fox film corp. とあるので往時のガンファイト映画(題名の表記なし)の「スチル」から持ってきている。「銀幕」のスチルということで銀刷り仕上げはしているが他の「ファミリー盤」に較べるとコッシュ的には並み仕事、あっさり片付けた感あり。
裏ジャケ、このフォト囲み形にライン(罫線)がアールデコ、ストーンズ盤とも通ずるところ。(録音のために Rolling Stones Mobile を使っている。ホールでの一発録りのようだが歓声なし。客入れなしでライヴレコーディング?)
渡り歩きベーシスト、ジョン・ウェットンのデビューバンドだが、ファミリーとは Roger Chapman = Charlie Whitney のふたりユニット。残りメンツは毎回の「トラ」でしょう。この盤には前述、トニー・アシュトン参加。ジム・クリーガンも。クリーガンの当時の奥さんがリンダ・ルイス。そしてクリーガンはロッド・スチュワート・バンドのバンマスへ。 コッシュがファミリー/アシュトン&ロード/リンダ・ルイス/ロッド盤のジャケを手がけた。このつながり…コッシュがミュージシャンのかなり近い位置にいた証しだろう。
映画は本編を撮るカメラマン、ムービーカメラマンが当然撮るわけだがそれと、宣伝材料/資料のために撮られるスチルのカメラマンが別にいる。スチールと普通は言うか… "Still" です。絵画でいえば静物画は Still Life 。「静止した」という意味で使われる。 コッシュはジャケットを「スチル」として作成していた。本編映画(=音楽、録音原盤)は別にあって、自分はその映画のスチルとして内容を一発で俯瞰できるジャケットを作る。音楽のスチールカメラマン…それが信条であったとワタシは思っている。
70年代にロックでのホーン仕事といえば…NYでのジャズ系ブレッカー兄弟/サンボーンを除くとこの三人、 Jim Horn - Jim Price - Bobby Keys 、三人で独占禁止法にひっかかるほどshareしていた。 マッドドッグズ、ストーンズなどスワンプ仕事を独占していたのがプライス。アメリカの人だと思うが、72年ならばコッシュはまだ英国在…どんな経緯の仕事なのか。ま、クレジットにはsuperviser だったかな、ジミー・ミラーの名前があったのでストーンズ仕事からの流れと見るのが順当かも。
talton, stewart, sandlin - happy to be alive (75) bonnie bramlett - lady's choice (76) gregg allman band - playin' up a storm (77) eddie hinton - very extremely dangerous (78)
ボニー盤/グレッグバンド盤はジャケの右フチ処理の共通項、かたや色オビ/かたやタイトルとケイ線。「フレームのコッシュ」だがここは四隅でなく一方のみでした。 ボニー盤、ごく普通に見えるが右の紫帯がすごく強い。これはなんだろう。上製本の「背」という意味? 本(アルバム)を模しているなら英語本は左綴じだから逆のはず、…違うか。 グレッグ盤の撮影は David Alexander 。コッシュがたびたび組んでいたカメラマン。気心の知れた相手、コッシュの美意識を的確に把握していた。 この盤での(ここではグリッドだが)細ケイ線もコッシュの重要なモチーフ(パーツ)のひとつ、頻繁に出てくる。その意味ではこの盤がカプリコーンジャケのなかでは最も「コッシュ調」といえる。
↑ southern 4 trax contained
※コッシュとカメラマン イーサン・ラッセル、コッシュは【let it be】【who's next】で組んでいるカメラマン。この世界ではビッグネームなひとりと思う。68年に、ナイコン (Nikon)を抱えた若きアメリカ人はロンドンでたちまち頭角を表した…とある。B4、フー、ストーンズ、トラフィックなどのジャケ写を撮り出す。 これはワタシの想像の域なんだが、コッシュがアップルに入った/並行してストーンズ・ジャケなども手がけた…ここらをみるに、まずコッシュはラッセルと知己を得て、その伝手で大物ジャケ仕事のチャンスが回ってきた…のではなかったのか。 それでもコッシュにとってラッセルは若干年上、先輩格ではなかったか。前述のようにラッセルとのジャケではコッシュ色はまだ出ていない。で、コッシュの全盛時には、David Alexander 、それとラッセルのアシスタントであったらしい Jim Shea 、どちらかと組むことで数々の傑作をものにした。たぶんふたりが、コッシュにとっては臆することなくデザインの意図を伝えられた/ともにクリエイトできたカメラマン。
これはレコ屋ではパープル関係盤という処理なんだろうなあ、ジョン・ロードの「顔」からして。左のトニー・アシュトン。英国ロック通ならばアシュトン、ガードナー&ダイクなんて名前も出てくるだろう。やはりコッシュがジャケを手がけた Family/ It's only a movie は前年盤。このバンドには1作のみ? アシュトン参加盤。
【アビイロード】がコッシュの出発点…であるとは、コッシュの名に注目し始めた頃にはつゆ知らず、ずいぶんと後になってから知らされた。なにしろクレジットになかったのだから…。 それにしても「コッシュストーリー」が語っているほどに名ジャケだろうか。たしかに構図的な面白さはある。しかしあまたのカバー<Jバーを生んだのはあくまでB4というアーティストパワーのなせる技。このジャケはたんにポールの heavy moon... 思いつきでしょう。
コッシュはたしかに apple のアートディレクターであった。正確には「でもあった」。当時からインディペンデントの立ち位置は崩していない。アップル時代の仕事にはコッシュのカラー≠ヘ(ほとんど)出ていない。let it be, mary hopkin, doris troy, wedding album.... 。
ロッド盤は、前作【スマイラー】をはじめ英国時代のソロの3枚が英国ジャケ界の鬼才 KEEF による。 コッシュの仕事は、次作【night on the town】をおいて、その次のこれ…2枚だけ。78年盤【スーパースターはブロンドがお好き】、一気にディスコへ流れた<鴻bドのその後にコッシュがついて行けなかったとも見える。
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