2009年02月03日

マッスルのデュアン1


ワタシ、鋼鉄ダン団という私設応援団を結成しておりますオクヤマです、別名「団員ひとり」です。スティーリーダン応援です、ちなみに。なお合わせて私設 Muscle Shoals Sound Studios 探究隊、別称マッスル根掘り葉掘り隊、も編隊しております。こちらも「隊員ひとり」です、よしなに。
でさノヨツイスト(これはハルヲフォンに限る)、ひさしぶりにマッスルについて書いたら気になったのがデュエィン・オールマンのこと。

はて、デュアンはマッスルで弾いたっけ? …などと言えば、何をおっしゃるうさぎさん、オールマンズ前史、デュアンといえばマッスルセッションでの数多い名演奏でしょ≠ニ、アメリカンロック派閥構成員から即レスが戻ってきそう。分かるが、ちょ〜っと違うンだよなあ。
あっちに書いたように「マッスル」をなんと定義するかによる。デュアンの活躍の場は、たしかにアラバマ州マッスルショールズだったが、スタジオは FAME 。リック・ホール経営のフェイムスタジオの、派遣社員/フロリダからの臨時雇用専門職がデュアンでしょう。たいしてワタシにとっての「マッスル」はスタジオ、マッスルショールズ・サウンド・ステューディオズであり、ワタシはこのスタジオの根掘り葉掘り隊員なのです。フェイムにはほとんど興味がないんだな。なので自慢じゃないがデュアンの名演盤というのをまったく買ってない。今手元にある「デュアン・オールマン・アンソロジー1」を聴くだけ。
見るにデュアン名演にアトランティック盤が多いが、これはやはりジェリー・ウェクスラーに気に入られたのだな。デュアンの雇用主はホールであったはずだが、ウェクスはアリーサやローラ・ニーロのNYセッション出張りにもデュアンを起用している。デュアンのリーダーバンド=オールマンズがジョージア/メイコンのカプリコーンからデビューであったこと、そのレーベルにウェクスが資金提供していたことを思うに、ウェクスラーはすっかり気に入ったマッスルセッション(=フェイム・セッション)であったがその親方リック・ホールとはとことん馬が合わなかったンじゃなかろうか。看板リズム隊(=マッスル四人衆)へも資金提供して独立スタジオを作らせたことを顧みても…。ウェクスは、「リック・ホールのマッスル」であったのを「ウェクスラーのマッスル」へと、根こそぎ奪ったようにも見えるのだが。

馬が合わないといえばデュアンと四人衆もダメだったと思える。これはオールマンズ本の中だったかな、「…スタジオミュージシャンというのはしょうもない奴ら。ひとりがポンティアックの新車でやってくると翌日には全員が同じ車でスタジオ入りさ」みたいな言葉がどっかにありましたヨ。デュアンとしてはミュージシャンとは自分の「音」で勝負してこそ。人のバックを適当にこなして金を稼いで、興味は車みたいな奴らはミュージシャンとはいえないゼ≠セったんじゃなかろうか。自分もあえて日銭稼ぎをここでやってはいるが、勝負はこれからだぜ/おま〜らとはちゃうゼ、とね。
なので、そのデュアンは四人衆経営の Muscle Shoals Sound Studios でも弾いていただろうか? と気になった。
またまたレスですね、何をおっしゃる、「ボズ・スキャッグズ」"Loan me a dime" をお忘れか≠ニ。
posted by Denny_O at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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