リック・ホールとウェクスラーは同世代だったと思うのだが、音楽的に見つめた先/ベクトルがはなから違っていたのでは。フェイムとしてはこれがほぼ最終期ヒットだったろう、オズモンズ "One bad apple" 、全米一位。
アンディ・ウィリアムズ・ショーのアシスタントあたりでTVに出てなかったかね、オズモンド兄弟。ユタ州の敬虔なモルモン教徒一家でしょう(避妊こそ神にたいする最大悪なのでしょうか、キリスト原理主義的な大ファミリーはみんなケント・デリカテッセンと同じ顔に見えちゃうよワタシには)、五人の兄弟はショービズで知られた存在であったのが、後発のアフロアメリカン五人兄弟=ジャクソン5がヒット連発で登場してきたのに危機感を抱いたのか、Osmond Bros. から Osmonds と名を変えて、どうにかチャートで対抗したかったんだろうな。
プロデューサーのマイク・カーブは彼らをポンティアックに乗せて、向かわせた先がアラバマ州マッスルショールズ。リック・ホールのプロデュースのもと、ソングライトはマッスル地元ライターであるジョージ・ジャクソン、出来たお皿が先の「腐ったリンゴ」、見事にトップ獲得でした。その後も数度マッスル・セッションを行ったが、ベストのテイクはやはりこれでしょう。サザーンガイ、何しろ名前がジョー・サウス、サウス曲 "Yo-Yo" (全米3位)。
いや、何のことかというと、フェイムではその後にあのポール・アンカなども録っているわけで…つまりはリック・ホールという人が、想像なんですが、小汚く髪伸ばしたヒッピーもどきな輩は性に合わない、もともとナッシュヴィルから戻った人だがらマッスルの地を第二のナッシュヴィルへと、ミュージックエンタメの都≠ノしたかったんじゃなかろうか、と。まあ頭の古い人だったんじゃないでしょうか。
対しウェクス、ブラック寄り(なにしろR&Bという言葉を作った御仁)から来てる人だし、南部サウンドに世界のロックシーンから衆目が集まるに違いないと踏んだ、先を読む力がホールとは段違い平行棒であったんじゃないでしょうかね。
その通りになったのでは。60年代ディケードでフェイムは役割を終え、マッスルスタジオ(=四人衆)はまるまる70年代ディケードを活躍する(とはいえ、時代の流れはいかんともしがたい。10年でほぼここもお役ご免に…)。
おっと、デュエィンはどこかいっちゃったな…。