2012年05月02日

Sigma sound / Muscle Shoals sound


フィリーソウルの時代とはいつだったか 自分のなかではまさにリアルタイムだった物と感じているし 好きだったネェ
73〜78年ぐらいが全盛であったか
大義ならば60年代の『ツイスト』から… dance craze なカメオ/パークウェイのフィリーからも含めてだろうが やはりフィリーソウルといえばギャンブル/ハフ組とトム ベル そしてシグマ録音 と
60年代フィリーも遡って DDシャープ/オーロンズ/タイムズ/ドヴェルズ/レン ベリー…好きなアーティストは数多い ギャンブルとハフとベルにとっては修業時代か 
とりわけ好きなのは ジェリー ロスとケニー ギャンブルの共作 "The 81" 
キャンディ&キッシーズ この一発ヒットのみが惜しいガールグループ

フィリーはいまでも不思議な思いがある
シグマのバックメンツMFSBを始めとして スタッフからパフォーマまでほぼオールブラックだったのに ワタシの苦手の sweatyなブラックネスが皆無 非常にソフィスティケイトされたサウンドであったこと
(それゆえに世界規模で成功したとも言えるか モータウン同様の「白人マーケット」への意識…とも思えないが)
MFSBによる "TSOP" /the sound of philadelphia が『ソウルトレイン』のテーマになったのも あの sweat black の総本山のような番組とどこかそぐわなく思ったモンだったが…


とにかくフィリーといえば『弦』でしょ 流麗なストリングズなくしてフィリー語れず 弦好きのワタシにはたまらんかったワ
バリー ホワイト好きもこれかな gene page のストリングズ 弦が書けるというクラシックの素養がまずソフィスティケイトの第一歩かも)

ギャンブル/ハフも良かったがワタシはどちらかといえばトム ベル派 なかでもスピナーズが一番



Drells_3rd.jpg

この盤 ドレルズ3枚目だが オリジナルの12曲は
ギャンブル/ハフ プロデュースのシグマ録音10曲+地元ヒューストン録音2曲の構成であった
そこへ UK Rhino は15曲を… 
まずシングルオンリーだった11曲(4曲シグマ/7曲マッスル)
それと未発表4曲(シグマ3/マッスル1)をボートラ追加
アナログならば二枚組のボリューム 「てんこ盛り」の大盤振る舞いはUKソウルフリークの矜持なのか

「マッスル」8曲は FAME studio ではなく Muscle Shoals Sound Studios 録り

シグマ録りは68年末から翌年末までの一年間
ギャンブル/ハフは PIR (philladelphia international records) を興す前の まだまだ請負仕事をしていた頃というのに やっぱり「弦」は…

マッスルでの弦といえば マッスルスタジオは弦録りができる広さがないこともあったろう ほとんどがマイアミのクライテリア録りだった そのアレンジは Mike Lewis が一手に請け負っていた
ルイスもいいアレンジャーだが まずマッスルで完パケ録音を済ませた上での「外注」先 “これに弦を乗せておいてヨ”という流れで仕事を受けていたルイスという感じがする

この マッスルとシグマが混在した盤を聴いてみて特に感じたが
シグマとは フィリーサウンドとは 制作の途中…もっといえばハナから
「弦をどう鳴らすか」ということを考えていたのでは
弦の重要度が違うんだな 他の録音とは

とはいえ マッスルがダメなのかといえばそんなことはなく
朴訥な南部風味が魅力

それにしても 黒人中心のフィリーよりも白人ばかりのマッスルのほうが
ソフィスティケイトから遠い音というのも意外な事実
(たんに 都会とド田舎の違い?)
ライナーによれば アーチー ベルはマッスルのスタジオへ入るなり
「ここは俺の来るべき場所じゃないぜ〜」と 白い顔ばかりに唖然としたとか

そんなマッスルでの録音にいたる経緯というのは…
黒人SSW (Prince) Phillip Mitchell はこの頃マッスルをベースに活動
特にソングライターとしてマッスル「座付き」となっていた
なかでメル&ティム "starting all over again" は大ヒット
そのミッチェルとアーチー ベルが実は旧知の仲 それが理由らしい

アトランティックから3枚目を出した後
シグマから離れてマッスル録音の4枚目を考えて事は進んでいたようにみえる
ここに収録のLP3枚目後のシングルが ほぼマッスルでのテイクだったことを考えると アルバム録音は終わっていたのだろう が その発売は拒否された…仕方なくシングルで「ばら売り」になってしまったという背景なんじゃなかろうか
都合8曲ものマッスルレコーディングがここに収録されているのだから

ミッチェルの書いたナンバーは3曲 ミッチェル同様にマッスル座付きだった George Soule (& Terry Woodford) の曲もあり
プロデュースは Brad Shapiro & Dave Crawford 
シャピロは マッスルカーカイヴで何度も書いているが プロデューサーとしてはウェクスラーに次いでマッスルをヒイキにした人物 
最も知られるのはミリー ジャクソン盤だが それ以外でもウィルソン ピケットはじめ ベッキー ホッブズ/アンディ フレイザー(元 Free!)など白人のマッスル録音も手がけている


マッスル録音のなかでイチ押しは未発表の中の1曲 "Paches"
この名曲 黒人音楽ファンのみならずチャートフリークも覚えているかも
アラバマの かなりディープなサザンシンガー クラレンス カーターの大ヒットだった 70年にブラックのみならずポップチャートでも4位まで上がったミリオンシングル
ちょうど個人的にはチャート入れ込みが始まった頃ゆえ 最初に好きになった黒人ヒットのひとつがこれだった
なんとも滋味溢れるミディアムで ある意味最初にふれたマッスル録音だったかもしれない(いやオズモンズ "one bad apple" が先か?)

後に調べると この曲は作が これまたワタシの大好きな chairmen of the board のジェネラル ジョンソンだった
同70年のチェアメン シングル "everything's Tuesday" のB面が初出
そしてそれをすぐさまカバーしたのが実はドレルズであったとライナーにはある
しかしそのテイクはお蔵入り
その録音の直後にマッスルで録音(FAME work) していたカーターも採り上げたということで カーターにとってメモラブルなミリオンヒットは ドレルズあってこそだったという次第

で そのテイクは… チェアメンのオリジナルはもちろん良し 盲目カーターも素晴らしい 
が ドレルズも負けていない マッスル四人衆が最高のバッキングで盛り上げている

ドレルズのマッスルセッションは70年6月とある
ということは Muscle Shoals Sound Studios にとってこれも初期録音の部類
シャピロのマッスル録音がかなり早い時期からだったのも意外であった


http://youtu.be/IvfsfS6NVUc clarence carter
 
http://youtu.be/QPy2YGm0mQ8 chairmen of the board


posted by Denny_O at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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