2009年06月06日

John Kosh Story

『Abbey Road』 『Who's Next』 『Hotel California』

名にし負うロックアルバム。英国2枚、米国西海岸1枚。ロック100選になら揃って入る盤ではあるがこの三名盤の共通項≠知る向きはそう多くないかも。…ずばり「コッシュ」。
この三枚が同一人物によってジャケットデザインされたというのだからどれだけ大物か知れようというところ…ジョン・コッシュ。

…という書き出しで、デザイナー「コッシュ」について連載していくつもりも、なかなか気持ちが空回りして進みませぬ。しかし、そうこうしているうちにこれ≠ェ削除されてしまっては元も子もない…なので紹介しておきます。日本人でもここまで DIG する人がいたことに驚いた、必至の名編集ビデオ。

http://sayonarako.exblog.jp/7735631/

左オビのなかの「ジョン・コッシュのすべて」を。
(すばらしい!…が、ひとつだけ言わせてもらえばレコを持つ外人さんをあたかもコッシュのように見せている演出はどうかと思う。イーグルス盤で自分のやった仕事≠ニ言ってるが…。まさかロスまで飛んで本人の顔出し無しですか? 青リンゴを手にする演出、六本木の外人さんに見えるがどうだろう…)

ついでに「変形ジャケットの世界」もぜひ。変形は紙面やブログ上で写真だけ載せて説明するのは辛いけれどこうして映像でやられると一発だから…。
posted by Denny_O at 07:48| Comment(1) | TrackBack(0) | kosh | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月10日

Corky Laing_Makin' it on the street


corkylaing.jpg


今、72年のウェスト、ブルース&レイングのブート音源を聴いているが、いや〜つまらねぇ〜。まあレズリー・ウェストは何の疑問も持たずにやりたいままを演っているだけだろう。惹句ブルース、どう? 商売というか営業というべきか、クリームで当たったンだからパワートリオはうけるはず、もう一発…というスケベゴコロじゃないの。もうひとり、コーキー・レイング。ドラマー。誰も話題にしなかった人だろうな…そういえばそんな奴、いたねぇ…ぐらいに。
ワタシもそのくちでしたが、久しぶりにマッスル盤の幾枚かを聴き返してみたら抜群だったのはこの人のレコだった。ピート/マッスル・アーカイヴのためにやむなく買った盤であったが…あっちでもほめた四つ★レコ、いやほんとにこれはイイ盤ですよ。

いや実際の所はマッスル録音ではなくメイコンのカプリコーン・スタジオ録音盤ですが。マッスル無関係、たんにピート・カーとマッスル・ホーン四人衆が参加しているだけ。ジョニー・サンドリンのプロデュース/ディッキー・ベッツ、トミー・タルトン(Cowboy)参加、カプリコーン色濃厚盤。そこになぜかエリック・クラプトンの名前も。もうひとりギタリストが参加、ジョージ・テリー。となれば元々フロリダはクライテリアスタジオ座付きプレイヤーだったと思えるジョージが、当時はクラプトン・バンドへ参加していてクライテリアでアルバムを録っていた頃だから、クラプトンとテリーは Oldsmobile を飛ばしてジョージアまで出張ったのであろうヨ。(コーキーが海釣りがてらでマスターテープを持参しクライテリアを表敬訪問…そのついでにオーバーダブなんて線も無くはない)

ちょいとハスキー、荒れる前のジョー・コッカーを思い出させる声で全曲コーキー自身が歌う。ドラマーだが歌もイケてます。ギターも弾くヨ。カヴァーは1曲のみ(ボニー・レイットも採り上げてた Barbara George /"I Know")、残りは共作も含めすべて自作曲。ソングライターとしても十分才能ある。やはりソロ作で才を見せたドラマーのジム・キャパルディのようだな、ドラマーは歌えるのだ。
その曲調は、マウンテン/W,B&Lのメンバーであったのがウソのよう…嫌味のないポップス。それにサザンなフレーヴァー盛り込みなので、デニー・ヨースト(&クラシックス・フォー)を彷彿…とすればなんとなく想像していただけましょう。




posted by Denny_O at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月03日

ダニエル・ペニントン氏、仕切る


danPennband.jpg


ある意味、これぞまさにサザンオールスターズ…。
60年代初めだろうな。

http://www.drummerworld.com/drummers/Roger_Hawkins.html





posted by Denny_O at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月26日

マッスルのデュアン3


正確にはスウェーデン・オンリー盤に続くボズ・スキャッグスのセカンドソロ『Boz Scaggs』。フェイムではなく、全曲 recorded at Muscle Shoals Sound Studios 盤。
デュアンのセッションギタリスト期の傑作仕事として最も有名な1曲がこれ収録のブルースカヴァー "Loan me a dime" 。今この曲を「アンソロジー」で聴いているが、これだけ弾いてるしね、熱いモノも伝わる…が、まったく個人的に言わせてもらえばこのギターってそれほど好きじゃない。ワタシの琴線には触れませぬ。それにしても13分近い長尺だがよくボズはオーケーしたな。これじゃデュアンのソロ作にボズがゲストボーカル状態では。ボズとしては「こりゃねえじゃん」であったのかも、そこをヤン・ウェナーに諭された?
このレコ、かつて持ってました。1曲 "I'll been long gone" を残して…、ワタシにとってはこの1曲でOKだったので処分してしまった。かなり昔のこと。今ならどうだろ、少し違って聴けるかも。

マッスルスタジオのオフィシャルサイト等々、ウェブでちょいと調べるに、マッスルスタジオでのデュアン参加盤は…
Hey Jude (LP-45) Wilson Pickett 
Boz Scaggs (LP) Boz Scaggs 
New Routes (LP) LuLu 
Southern Fried (LP) John Hammond  
Five'll Getcha Ten (LP) Cowboy  

この程度。もうちょいあるのかも。ピケットの「ヘイ・ジュード」、これはフェイム録りのはずだがスタジオのサイトでは「うちで録った盤」に入れている。はて?

ラストのカウボーイ盤がデュアンの最後のセッション参加盤として知られる一枚。1曲だけ、ドブロでスライドしている "please be with me" のみ。緩いんですけどね、なんかしみじみしたイイ味。ワタシはこのカウボーイというバンドがこれまた大のオキニかもめが。右「マイレコ・ベスト25」に彼らのファーストを入れている。
まったくもって知名度低いバンドだが、多少でも知られるとすればやはり "please be with me" ですわね。ワタシもそうでした。74年の発表ということは高校ン時だな、クラプトンの「461」。聴いたねえ、この盤、ダチの家で…自分じゃ買わなかったがとことん聴いたワ(いまだに買ってない、こんど安レコで買おう)。 天下のクラプトンに、この盤でカヴァーされた "please be with me" 。ここで初めて聴いて、のちになってオリジナルにたどり着く。

Cowboy original version は71年8月にマッスルスタジオで録られたが、デュアンは同年10月頃からクライテリアで「レイラ・セッション」へ。ならばクライテリアで録りの合間に録ったばかり≠フこの曲を弾いて聴かせたとみるのが順当でしょう…ほかにクラプトンとカウボーイに接点があったとは思えない。当時のクラプトンはおつむヘロヘロであったろうがかすかに記憶に残った、ヘロヘロから脱けた3年後に録音した…てなところでありましょうな。




posted by Denny_O at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月25日

マッスルのデュアン2


リック・ホールとウェクスラーは同世代だったと思うのだが、音楽的に見つめた先/ベクトルがはなから違っていたのでは。フェイムとしてはこれがほぼ最終期ヒットだったろう、オズモンズ "One bad apple" 、全米一位。
アンディ・ウィリアムズ・ショーのアシスタントあたりでTVに出てなかったかね、オズモンド兄弟。ユタ州の敬虔なモルモン教徒一家でしょう(避妊こそ神にたいする最大悪なのでしょうか、キリスト原理主義的な大ファミリーはみんなケント・デリカテッセンと同じ顔に見えちゃうよワタシには)、五人の兄弟はショービズで知られた存在であったのが、後発のアフロアメリカン五人兄弟=ジャクソン5がヒット連発で登場してきたのに危機感を抱いたのか、Osmond Bros.  から Osmonds と名を変えて、どうにかチャートで対抗したかったんだろうな。
プロデューサーのマイク・カーブは彼らをポンティアックに乗せて、向かわせた先がアラバマ州マッスルショールズ。リック・ホールのプロデュースのもと、ソングライトはマッスル地元ライターであるジョージ・ジャクソン、出来たお皿が先の「腐ったリンゴ」、見事にトップ獲得でした。その後も数度マッスル・セッションを行ったが、ベストのテイクはやはりこれでしょう。サザーンガイ、何しろ名前がジョー・サウス、サウス曲 "Yo-Yo" (全米3位)。

いや、何のことかというと、フェイムではその後にあのポール・アンカなども録っているわけで…つまりはリック・ホールという人が、想像なんですが、小汚く髪伸ばしたヒッピーもどきな輩は性に合わない、もともとナッシュヴィルから戻った人だがらマッスルの地を第二のナッシュヴィルへと、ミュージックエンタメの都≠ノしたかったんじゃなかろうか、と。まあ頭の古い人だったんじゃないでしょうか。
対しウェクス、ブラック寄り(なにしろR&Bという言葉を作った御仁)から来てる人だし、南部サウンドに世界のロックシーンから衆目が集まるに違いないと踏んだ、先を読む力がホールとは段違い平行棒であったんじゃないでしょうかね。

その通りになったのでは。60年代ディケードでフェイムは役割を終え、マッスルスタジオ(=四人衆)はまるまる70年代ディケードを活躍する(とはいえ、時代の流れはいかんともしがたい。10年でほぼここもお役ご免に…)。

おっと、デュエィンはどこかいっちゃったな…。





posted by Denny_O at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

マッスルのデュアン1


ワタシ、鋼鉄ダン団という私設応援団を結成しておりますオクヤマです、別名「団員ひとり」です。スティーリーダン応援です、ちなみに。なお合わせて私設 Muscle Shoals Sound Studios 探究隊、別称マッスル根掘り葉掘り隊、も編隊しております。こちらも「隊員ひとり」です、よしなに。
でさノヨツイスト(これはハルヲフォンに限る)、ひさしぶりにマッスルについて書いたら気になったのがデュエィン・オールマンのこと。

はて、デュアンはマッスルで弾いたっけ? …などと言えば、何をおっしゃるうさぎさん、オールマンズ前史、デュアンといえばマッスルセッションでの数多い名演奏でしょ≠ニ、アメリカンロック派閥構成員から即レスが戻ってきそう。分かるが、ちょ〜っと違うンだよなあ。
あっちに書いたように「マッスル」をなんと定義するかによる。デュアンの活躍の場は、たしかにアラバマ州マッスルショールズだったが、スタジオは FAME 。リック・ホール経営のフェイムスタジオの、派遣社員/フロリダからの臨時雇用専門職がデュアンでしょう。たいしてワタシにとっての「マッスル」はスタジオ、マッスルショールズ・サウンド・ステューディオズであり、ワタシはこのスタジオの根掘り葉掘り隊員なのです。フェイムにはほとんど興味がないんだな。なので自慢じゃないがデュアンの名演盤というのをまったく買ってない。今手元にある「デュアン・オールマン・アンソロジー1」を聴くだけ。
見るにデュアン名演にアトランティック盤が多いが、これはやはりジェリー・ウェクスラーに気に入られたのだな。デュアンの雇用主はホールであったはずだが、ウェクスはアリーサやローラ・ニーロのNYセッション出張りにもデュアンを起用している。デュアンのリーダーバンド=オールマンズがジョージア/メイコンのカプリコーンからデビューであったこと、そのレーベルにウェクスが資金提供していたことを思うに、ウェクスラーはすっかり気に入ったマッスルセッション(=フェイム・セッション)であったがその親方リック・ホールとはとことん馬が合わなかったンじゃなかろうか。看板リズム隊(=マッスル四人衆)へも資金提供して独立スタジオを作らせたことを顧みても…。ウェクスは、「リック・ホールのマッスル」であったのを「ウェクスラーのマッスル」へと、根こそぎ奪ったようにも見えるのだが。

馬が合わないといえばデュアンと四人衆もダメだったと思える。これはオールマンズ本の中だったかな、「…スタジオミュージシャンというのはしょうもない奴ら。ひとりがポンティアックの新車でやってくると翌日には全員が同じ車でスタジオ入りさ」みたいな言葉がどっかにありましたヨ。デュアンとしてはミュージシャンとは自分の「音」で勝負してこそ。人のバックを適当にこなして金を稼いで、興味は車みたいな奴らはミュージシャンとはいえないゼ≠セったんじゃなかろうか。自分もあえて日銭稼ぎをここでやってはいるが、勝負はこれからだぜ/おま〜らとはちゃうゼ、とね。
なので、そのデュアンは四人衆経営の Muscle Shoals Sound Studios でも弾いていただろうか? と気になった。
またまたレスですね、何をおっしゃる、「ボズ・スキャッグズ」"Loan me a dime" をお忘れか≠ニ。
posted by Denny_O at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

Cliff In Muscle

さる(といっても引っ掻かない…)ブログのなかで、ジミー・クリフのアルバムにマッスル録音盤があるとの記事。こりゃ驚きました。それも、その盤…『Another Cycle』というがそこであの名曲 "Sittin' In Limbo" が初出していたとは。「リンボ」ってマッスルリズム隊をバックに録られた曲だったんですぜ!(とか言いながらもクリフのオリジナルヴァージョンはちゃんと聴いてなかったよ、今の今まで)
その他もウェブザッピンしてみた。するとこの盤は 71年で Island 原盤。以下がメンツ、
Jimmy Cliff :Vocals
Tippy Armstrong :Guitar
Barry Beckett :Keyboards
Roger Hawkins :Drums
Eddie Hinton :Guitar
David Hood :Bass
Jimmy Johnson :Guitar

ギターはティッピとヒントンか…(ジミー・ジョンソンは "Twang guitarist" 、リードプレイはFame期をのぞけば♀F無の人)。71年でこのメンツということは、わがピートはマッスル入り直前でしょう、不参加盤。マッスル録音でのリードギタリスト座席は、ヒントンがティッピ、パーキンスらを率いていた初期から徐々にピート先導(番頭格はラリー・バイロム)へとクロス・フェイドしてゆくことになる。
ティッピ・アームストロングはもともとアラバマ在のギタリストでヒントンらと古くからのバンド仲間だったかな。マッスルセッションではボビー・ウーマック盤でのレギュラーだった。それとドン・ニックスのアラバマ・トゥルーパーズへも参加だったと記憶する。

このクリフ盤、見ないなあ…入手できる気がしないが出来たら詳細を入れましょう。しかしここでは内容よりも盤の背景が気になる。というのもマッスル根掘り葉掘り隊員のワタシにとって、英国アイランド・レーベルとマッスルショールズ・サウンド・スタジオとの連帯関係≠ヘ重要課題なのだ。
ジム・キャパルディ/トラフィック/ポール・コゾフ/アンディ・フレイザー/ラビット/フランキー・ミラー/マイク・ハリソン(ex-Spooky Tooth) らがなにゆえアメリカでもド真ん中ちょい南のアラバマの地まで足を運んだのかは気になってしかたがない。ロンドンからなら、たとえばNY州のウッドストックあたりならばさほど苦もなく渡れると思うがマッスルまでは楽な道のりとは思えないのに…。

考えられるのは、やはりアイランドのfounderクリス・ブラックウェルがある時期にマッスルとコネクションを作ったということ。それほどのモンでもなくただ単に誰かが最初にマッスルで録ってみたら良かったんで、「あのスタジオ、ちょいと田舎で行くにゃ骨だが悪くなかったでぇ〜」と触れ回っただけかもしれないが…。
わがアーカイヴでは、71年12月のセッション、キャパルディ盤『Oh how we danced』が最初のアイランド盤であったが、ここでこのジミー・クリフ盤のほうがそれよりも早い、アイランド=マッスル「イの一番」の可能性が高くなったわけ。
posted by Denny_O at 10:40| Comment(2) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月27日

#138_Levon Helm

levonLP.jpg
#138
"Levon Helm"
( '81 MSS/Capitol)
<B:★>

 ご存知ザ・バンドのドラマー_リヴォン・ヘルムのLP。…だが、LP『Levon Helm』はABCからの78年盤が中古市場には数多く出回っております(same title 盤が2枚あるわけ)が、こちらの81年盤はとんと出てこなんだ。やっとのことでゲット。78年盤も一部マッスル録音を含む盤であったが、こちらのほうが完全マッスル盤でピート・カーも参加盤(と思っていて、AMGをみれば78年盤にもピートの名があるねえ…そうだっけ?)。

 この81年盤は、過去のマッスル頁でフランキー・ミラー/デルバート・マクリントン/クリムズン・タイドと採り上げた、キャピトル原盤/マッスル制作盤。これはどうやらちゃんとしたレーベルとして Muscle Shoals Sound Records は短い間でも機能していたということ。つまりこのリヴォン含めそれらアーティストはすべて“MSSレコードとの「契約アーティスト」”ということ。
 なので、全曲がマッスルスタジオ録音で、マッスル四人衆を始めマッスルオールスター総出のバック、そこにケイト兄弟などがからんでおります。

 が、正直退屈な盤なのだ〜、これが! なにしろ曲がダメ。もともと曲が書けない人だからカヴァーに頼るわけだがここでは有名どころから、モータウン "Money" /ジョニー・オーティス"Willie and the hand jive" を取りあげ、ほかにトム・スノウ、リチャード・スパ(おっとこの人も参加)、トロイ・シールズなどのライター曲に、トミー・タールトン/ミッキー・バキンズ(=マッスル楽曲)3曲などを演ってます。
 どれもこれもなんだかなぁ〜…ですわい、ダレているわけじゃなくてそれなりに頑張っているのはわかるが…。「バンド」の人だからと過度な期待があるわけじゃないけれど、あまりに凡庸/オーディナリーなマッスル・セッションになってしまっている盤。

 ピートはラストのバキンズ曲、もろにカントリーナンバーですが、ここで彼らしいギターを披露。それ以外_ピート以外のギターでも「おやっ」と思わすプレイ、ジェリー・マギーばりに冴えたギターもあるにはあるのですが…。

PS:No.136のギルバート・マクリントン盤で書いたことだが「マッスル録音盤ではかなりの頻度で地元曲を採り上げる。これって、利益の地元還元?…仲間内を印税救済のために四人衆はプロデュース・オファーのたびに契約項目に入れていたんじゃなかろうか」。ここでも3曲採用。やっぱり言えてない!?
posted by Denny_O at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

Sweet home Alabama

skynyrd_muscle.jpg

 レーナード・スキナード、 "Free Bird" がもともとマッスルと書いたのは、この曲のオリジナル・テイクはマッスル・ショールズで録られていたから。71年7月のこと。インレイジャケ写を入れた『The Complete Muscle Shoals Album』は98年に出たCDですがここに収録。レーナードといえばもうこの人と同義と思えたヴォーカリスト/ソングライターの Ronnie Van Zant は77年の plane crash で亡くなったわけですが、死後に当然のようにいろいろな過去音源盤が出る。マッスルでのデモ音源も78年盤LPで9曲が既出、しかしCDの時代となったことで完全盤を出したわけね。全17曲

 スキナードはリズム隊が固定しないバンドだった。入れ替わり/出戻りもあったり…。このマッスルCDではオリジナルドラマー Ricky Medlocke 曲(歌う)があったりしてスキナードらしさ、統一感はない(とっても悪い曲でないし、もちろん“デモ”録りだから)。

 フロリダのローカルバンドを最初に見つけたのが、Capricorn の大将=フィル・ウォルデンの弟のアラン・ウォルデン。アランが旧知のマッスルガイ_バリー・ベケットへテープを渡し、ジミー・ジョンソンがプロデュース役となってマッスルショールズにてデモ録音、若きロニー(当時22歳)らの初録音ですな。CDのハナが、目玉が "free bird" のオリジナルテイク、7' 26" version 。"simple man" "i ain't the one" など後に発表された曲のオリジナルテイクもあり。
 「フリーバード」はすでにアレン・コリンズ/ゲイリー・ロッシントンのツイン・リードが出来ている。ファーストアルバム『発音はレーナード・スキナード…』収録テイクと大差がない。それは73年盤だからね、間隔もそれほど開いてないし、ファーストアルバムとはいってみれば“アマチュアの集大成”盤、アマ時代のメイン曲を集めたモノだよね。

 マッスルでのデモテープを持ってアランは奔走するがさしたる手応えなし。ロニー・ヴァン・ザントはその理由をジミー・ジョンソンのミックスが甘いからと感じ、しばし不仲に。結局バンドはアル・クーパーに認められMCAからデビューしたわけだが、その時にはジョンソンとの関係も修復された。ロニーはジミーに電話で「あんたらのこと、アラバマのことを曲にしたよ…」、それがご存知 …

"Sweet home Alabama"
I'm coming home to you / Here I come Alabama Now Muscle Shoals has got the Swampers / And they've been known to pick a song or two / Lord they get me off so much / They pick me up when I'm feeling blue / Now how about you?
 
 ところでこのマッスル録音CDは71〜2年のセッションテイクだが、このマスターをMCAが買い取った際(75年)にいくつかの曲は手直しを入れている。ベースの差し替え/ギター、キーボードを追加等。「フリーバード」もベースは Ed King が弾いてトラックごと差し替えられた。オーバーダブもマッスルで行われたので、数曲では Wayne Perkins のギターが足されている。
posted by Denny_O at 20:52| Comment(2) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

スタジオ二景

muscle_paul.jpg

muscle_katoh.jpg


 上は『Paul Simon/ひとりごと』の見開き内ジャケのワンカット。雨に煙るマッスル。下が『加藤和彦/それから先のことは…』の裏ジャケに載せたポラ撮りのスタジオ、天気ピーカン。
 ご覧の通りにマッスルスタジオ景は右壁写しがなぜが大半なのヨ。
 しかし2枚は同73年盤なのにポール盤ではエアコン室外機が写ってないのはなぜだろう。それに正面右ガラス窓が植木に隠れているなあ…。こちらの撮影(録音時)が春先でその後、夏に向けてエアコン入れた/木を切ったのかもしれない ^^ 。
posted by Denny_O at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。